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コラム

C型肝炎訴訟 カルテのないC型肝炎患者の闘い(15)

2015年04月17日 カテゴリー:C型肝炎給付金請求訴訟

C型肝炎訴訟 フィブリノゲン製剤という血液製剤

  1. 早稲田先生は、フィブリノゲン製剤の功罪についてもよくわかっておられた。
    人間の血液中には、フィブリノーゲンという血液凝固因子が存在する。フィブリノゲン製剤は、上記の血液凝固因子を精製抽出してつくられたもので、止血剤としてミドリ十字が販売した。
  2. 産婦人科領域では、昭和40年頃から、DIC(播種性血管内凝固症候群)になりやすい常位胎盤早期剥離や弛緩出血など多量出血の場合、止血のためにフィブリノゲン製剤の投与が推奨されていた。
  3. 東京地裁は、1975年(昭和50年)2月13日、すみやかに止血剤を投与せず輸血もしなかったとして病院の医療ミスを認める判決をなした。(中間報告書(*)P.451:参考資料-参考1)
  4. フィブリノゲン製剤を投与すると非A非B型肝炎になることが広く知られたのは、昭和62年、青森の産婦人科医が、フィブリノゲン製剤を投与したら急性肝炎が集団発生したことを厚生省に報告し、昭和62年4月17日、読売新聞で「産婦8人が急性肝炎 血液製剤が原因?」と報道されたからであった。
  5. ミドリ十字は、フィブリノゲン製剤がアメリカの貧民窟の人達1,000人以上から採取したプール血漿から製造されていることを知っていた。そしてフィブリノゲン製剤を投与すれば肝炎になる恐れがあることを知っていたので、フィブリノゲン製剤の箱の中には、医師に対するアンケート葉書を入れていた。しかし、医師からフィブリノゲン製剤を投与した患者が肝炎になったという葉書がきても、握り潰し国に報告をしなかった。
    青森でフィブリノゲン製剤による肝炎の集団発生が明らかになると、ミドリ十字は、エイズの時と同じように考えて、「それまでのフィブリノゲン製剤が非加熱だったから肝炎になったので、加熱すれば肝炎にならない」と主張し、加熱したフィブリノゲン製剤の認可を申請した。
    すると、厚生省はすぐに認可してしまった。
    ミドリ十字は、青森の産婦人科医にも「加熱したフィブリノゲン製剤なら肝炎になりません。フィブリノゲンHT-ミドリを使って下さい」と述べて、持っていった。それを信じた青森の産婦人科医は、加熱したフィブリノゲン製剤を投与した。しかし、その産婦さんも肝炎になってしまったのである。
  6. 早稲田先生は、金沢で産婦人科医会の役員をし、年1回の全国集会に出ておられたので、そのような経緯をすべてわかっておられた。フィブリノゲン製剤を投与すると肝炎になるようだということがわかったら、すぐフィブリノゲン製剤の投与をやめたという。
  7. しかし、これまでの経緯を見ると、昭和40年頃から平成3年頃までは、DICになる恐れがあるケースや出血量が多いケースでは、フィブリノゲン製剤を使って止血しないと、産婦人科医の医療ミスと言われかねないのであって、産婦人科医の多くがフィブリノゲン製剤を使わざるを得なかったのである。
  8. 日本国民の多くの方に薬害C型肝炎という災いをもたらしたフィブリノゲン製剤は、認可が取り消されたかと思ったら、どっこいそうではない。アメリカでは1977年に販売中止になっているが、日本では、今もミドリ十字を承継した田辺三菱が販売しているのである。ただし、先天性フィブリノゲン欠乏症の患者に限りであり、産科DICなど後天性フィブリノゲン欠乏症に使用してはならないことになっている。

***
フィブリノゲン製剤の発売当初からミドリ十字社は血清肝炎の生じる危険があることを認識しており、ミドリ十字社の前身である日本ブラッドバンク社の専務取締役で、後にミドリ十字社の会長になった内藤良一は、1963(S38)年に日本産科婦人科学会雑誌15巻11号に「乾燥人血漿について私のお詫び」を載せ、乾燥血漿製剤に関して紫外線照射は血漿の肝炎ウイルスを不活化するのには1958(S33)年にStrumiaから「殆ど無効」と判決が下されるに至ったことを述べている。また、同文書で「私の罪業と申しますのは、私は陸軍軍医学校教官で、戦争直前米国フィラデルフィアにおいて凍結真空乾燥の技術を学んだことが契機となって、この日本における乾燥血漿の製造を開発したことであり、その結果多くの患者さんをこの乾燥血漿によって肝炎に罹らせたことであります。」と述べ、併せて乾燥人血漿による肝炎発生率は英国で4.5%~11.9%と報告されている、と述べている。それにもかかわらず、日本ブラッドバンク社は1964(S39)年に紫外線照射で「不活化」することを条件にフィブリノゲン-BBankの承認を得て発売しているのである。
(中間報告書(*)P.354、P.355:(5)本章のまとめ-1))

***
血液凝固因子製剤とは、血漿中のたんぱく質を取り出した血漿分画製剤の一種で、止血の役割を果たす特定の血液凝固因子を抽出したものである。凝固因子は全部で12あり、フィブリノゲン製剤は血液凝固第一因子フィブリノゲンを、クリスマシンやPPSB-ニチヤクは第九因子やその他複数の因子を精製抽出してつくられた。
(薬害肝炎 大西史恵 週刊金曜日発行 P.13)

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*)中間報告書
『薬害肝炎の検証及び再発防止に関する研究 中間報告書(薬害肝炎の検証および再発防止に関する研究班 2009年3月27日)』(http://www.mhlw.go.jp/shingi/2009/03/dl/s0327-12a.pdf)

C型肝炎訴訟 カルテのないC型肝炎患者の闘い(14)

2015年04月10日 カテゴリー:C型肝炎給付金請求訴訟

C型肝炎訴訟 新幹線が春を連れてくる金沢にて

3月11日は、東日本大震災と福島原発事故のあった日である。4年後の2015年3月11日、金沢地方裁判所まで出張して、金沢にある早稲田産婦人科医院の早稲田健一先生の証人尋問を行った。名古屋弁護団では、出産に関わった医師の初めての尋問である。
前日の夜は名古屋にも雪が降り、北陸は暴風雪という天気予報だったので、無事に金沢へ行くことができるのか不安であった。新幹線で米原まで行き、米原で特急しらさぎに乗り換える予定だったが、新幹線が遅れているというニュースを見て、急遽、名古屋発しらさぎ3号に乗った。自由席も指定席も満席であったし、立ったままの乗客もいる。和倉温泉に実家があり、手を骨折した父が入院中だという美しい女性は、「今日は介護認定をしてもらい、父は家に帰りたいと言っているが、もう帰れないと思う」と言う。岐阜も米原も福井も雪国だった。

ところが、金沢はほとんど雪がない。「新幹線が春を運んでくる」という喜びにあふれた加賀百万石の金沢駅。タクシーに乗って、足が悪く、手も病気の早稲田先生をピックアップして、裁判所へ行く。裁判所へ行くと言うと個人タクシーの運転手が、突然金沢弁で掻き口説いた。「頼んだ弁護士にたくさんお金を払わされた。だから、今は自分で裁判をやっている。兄弟相手に、自分流の言葉で書いている。この前、裁判官がもっと請求しないのかと言ってくれた。」耳の痛い話であった。どうも兄弟が親の遺産を隠しているので、裁判をやっているらしい。
早稲田先生は、杖をつき、ゆっくり歩いて裁判所に入った。

Q.「Kさんにフィブリノゲン製剤を投与したことを、なぜ覚えておられますか?」
早稲田先生「子宮は、鶏卵大が普通なのに(妊娠していないときの子宮は本当に小さいのである)、Kさんのは、鵞卵(がらん)大になっていたので、子宮筋腫だと思っていた。子宮筋腫があって、妊娠したのが不思議な症例だった。また、子宮筋腫がある場合、妊娠しても流産することが多いが、流産はなかった。分娩後1か月して診ると子宮が正常な元の大きさに変わっていて不思議だと思った症例だった。また、出血が多かった。それで覚えている。」
Q.「では、出血量がどのくらいあると、経験から思った時にフィブリノゲン製剤を用意するのですか?」
早稲田先生「400ml以上の場合、用意します。」
Q.「出血量がどのくらいあると、フィブリノゲン製剤を使うのですか?」
早稲田先生「400ml~500ml以上の場合。」
Q.「カルテは残っていないのですね?」
早稲田先生「カルテは改装時破棄しました。カルテはないが、Kさんにフィブリノゲン製剤を投与したことは間違いありません。」
Q.「出血が多いとき出血を止めるのが大切なのですね?」
早稲田先生「そうです。」

早稲田先生は、フィブリノゲン製剤より輸血の方を先にしたと言うが、輸血の途中で三方活栓を使って、フィブリノゲン製剤を静注したとも述べた。
早稲田先生は、80歳だが、記憶力も理解力もバツグンであった。国側代理人のおかしな尋問をたしなめたり、本件とは直接関係ない尋問にも淀みなく答えられた。田辺三菱代理人のねちっこい繰り返しの尋問については、私達原告代理人が「異議あり!重複尋問です」と声を上げ、封じることができた。
早稲田先生は、出血量が多くフィブリノゲン製剤を投与した患者さんをほとんど覚えているという。
証人尋問が終わって、「お疲れ様でしたね」と声をかけると、「どうちゅーことないわいね」と金沢弁で答え、杖をついて裁判所を後にし、自分の病気を診てもらっている病院へ行かれた。

金沢地方裁判所は、贅沢な3階建てで、外壁は格子状に化粧され、白い石が敷き詰めてあり、古都の風情を漂わせ、美しかった。
金沢駅の新しい名店街で、彩りのよい2段重ねのお弁当を買い、帰路の特急しらさぎの中で、原告のKさんと一緒に、昼食兼夕食を食した。
疲れたけれど、安堵した。早稲田先生の尋問を他の原告さんにも有利に使わせてもらいたいと思った。
早稲田先生、本当にありがとうございました。

C型肝炎訴訟 カルテのないC型肝炎患者の闘い(13)

2015年02月03日 カテゴリー:C型肝炎給付金請求訴訟

C型肝炎訴訟 中立の証人医師をいじめないで

先日、京都地方裁判所で2人目の医師の証人尋問を行った。
T医師は、Y病院において、昭和55年、Hさんの胃がん摘出・膵臓一部切除の手術をした際、フィブリノゲン製剤を静注したと明確に証言された。 患者さんであったH氏は、すでにC型肝炎の肝がんで逝去されており、原告は、ご遺族である。

T医師がフィブリノゲン製剤を静注したことを明言したところ、国代理人や田辺三菱製薬㈱(元ミドリ十字)の代理人は、しつこく反対尋問を行った。

カルテがないのに、なぜ覚えているのか。

T医師は、「平成20年、Hさんが私を尋ねてきた。Hさんが入院保険金をもらうために、昭和56年に作成した診断書を持ってこられ、それを見て、記憶を喚起しました。 また、当時は、胃がんであることを患者には告知せず秘密にしたまま、手術しました。私は、胃がんであることが分かっていたので、 胃がんを摘出するつもりで開腹したが、膵臓に浸潤していることが分かり、膵臓の一部も切除し、腫瘍のある部位の周囲のリンパも取り除く拡大根治術という長時間の手術をしたのです。 出血量が400~500mlの多量であり(通常、胃がんのみ摘出の場合、50~100mlぐらいのことが多い)、輸血を600mlしたけれどもじわじわとした出血が止まらず、 止血のためにフィブリノゲン製剤を使用したので、よく覚えています。そして、フィブリノゲン製剤を3アンプル使ったという診断書を書いて差し上げたのです。」と証言された。

「フィブリノゲン製剤と止血はどちらが先か」「出血量より輸血量が多いのはおかしくないか」という趣旨の尋問もしてきた。

「出血量が500ml以上だからフィブリノゲン製剤を使用したのか」という尋問もした。
T医師は「出血量がメルクマールではなく、 低血圧になって輸血しても血圧が戻らずじわじわ出血し続ける時に使用する」と答えた。

さらに、「他の止血剤にはどんなものを使用したか」と尋問した。
T医師「ビタミンK、アドナ、トランサミン」などと答えた。

田辺三菱製薬㈱代理人は、「電気メスは使わなかったか。電気メスであれば切った部分からは出血しないはずだが」としつこくフィブリノゲン製剤を使わなくても止血できるのではないかと、尋問した。
T医師「切除には電気メスを使ったが、拡大根治術の場合、横隔膜から下の広い範囲でリンパを切除するので、広い範囲でじわじわ出血するため、使わざるを得なかった」と証言した。

 

しかし、あまりに同じような尋問をしつこく繰り返し行うため、83歳のT医師は疲れてきて、平成2○年というべきところを平成3○年と言う等、混乱してしまわれた。

国側と田辺三菱製薬㈱代理人は、証人医師を混乱させ信用性をおとしめることを狙ってしつこく尋問してくることがわかった。 田辺三菱製薬㈱代理人は、特にしつこく尋問して証人医師を混乱させたので、証人尋問が終わったとき、国側代理人が田辺三菱製薬㈱代理人に握手を求めていた。

とても嫌な感じであった。

本来なら、国側代理人と田辺三菱製薬㈱代理人は、被害者側に謝罪の気持ちをもって臨むべきものであるにもかかわらず、高齢の証人医師をいじめることがまるで使命であるかのように振る舞うのである。

 

しかし、この件は必ずや勝利できると確信している。医師は中立な証人だ。医師としてのプライドも高く患者が頼んだからといって患者に有利な嘘を言うことは決してない証人である。

高齢で持病も持っておられる証人医師に、もっと敬意を払い、短時間の反対尋問にすべきなのである。

 

C型肝炎訴訟 カルテのないC型肝炎患者の闘い(12)

2014年12月05日 カテゴリー:C型肝炎給付金請求訴訟

C型肝炎訴訟 製薬会社の立ち位置

カルテが残っていないC型肝炎訴訟には、製薬会社が補助参加している。
国が敗訴したり、賠償金を支払うとの和解をすると、その賠償金のうち3分の2を製薬会社が負担するようである。

原告がフィブリノゲン製剤やフィブリン糊による薬害C型肝炎だと主張すると、田辺三菱製薬㈱が補助参加してくる。
原告がPPSBニチヤクによる薬害C型肝炎だと主張すると、日本製薬㈱が補助参加してくる。

あのミドリ十字は、吉富製薬と合併して法人格が消滅した後、医薬品業界の大規模な再編が進む中で三菱ウェルファーマ社となり、現在、田辺三菱製薬㈱となって、今も生きている。

 

カルテがないC型肝炎訴訟において、最も、先駆けて提訴した東京では、3名の原告の方が国と和解している。

その中のBさん(小国公立病院にて出産)について、看護師と担当医師の証人尋問を終わって、和解の機が熟していたところ、
突如として、田辺三菱製薬㈱が、「小国公立病院には、出産当時、フィブリノゲン製剤が存在しなかった」と主張し、
出産の年から遡って4年分のフィブリノゲン製剤納入リストを提出してきた(フィブリノゲン製剤の有効期間は3年となっている)。

東京の原告団や弁護団は、怒りを持って反論した。

名古屋の原告さんが手に入れてくれたT病院の昭和55年から平成の代までのフィブリノゲン等の納入リストには、
「納入実績資料のお取り扱いについて」と題する書面がついており、その書面には、

①特に1980年代には、手書き伝票を手作業でコンピュータに入力されていた
データがあり、入力ミスの可能性がありますこと。
②特約店の医療機関コードと弊社の医療機関コードにマッチングミスの可能性
がありますこと。
なお、弊社のデータが、1980年以降のものしかなく、1979年以前につきましては資料がございませんので、この点もご留意お願い申し上げます。

という記載があることから、そもそもフィブリノゲン製剤納入リストは不正確なものである。

厚生労働省医薬食品局血液対策課の「国立病院等におけるフィブリノゲン製剤投与に係る診療録等の精査状況等の調査結果について」及び
「平成23年度及び平成24年度フィブリノゲン製剤納入医療機関に対する訪問調査の結果について」においても、
「ここに記載されている期間以外でもフィブリノゲン製剤が対象医療機関に納入されている可能性は否定できないため、必ずしも正確な納入本数ではない場合があります」と記載されている。

さらに、同課の「C型肝炎ウイルス検査受診の呼びかけ(フィブリノゲン製剤納入先医療機関名の再公表について)」においても、

①「二次卸等」は、フィブリノゲン製剤納入先として三菱ウェルファーマー社の納入先に記載されていた医療機関以外の施設です。これらの施設を経由してフィブリノゲン製剤が医療機関に納入された可能性も否定できない、
②フィブリノゲン製剤納入先のデータは昭和55年からしか存在しないため、公表医療機関において昭和55年より前にフィブリノゲン製剤が使用されていたかどうかは不明です。
また、今回の公表医療機関以外の医療機関においてフィブリノゲン製剤が使用されていた可能性も否定できません。

と記載されている。

 

以上によれば、フィブリノゲン製剤納入リストに記載されているものは、最小限のもので、それ以上に納入されている可能性は十分あるものである。

田辺三菱は、原告らや証人医師を陥れようとして、当該出産・手術時期の過去3年分しか提出してこない。異議を述べても、一向に提出してこない。

C型肝炎特別措置法は、C型肝炎ウイルスが入っている可能性がわかっていたにもかかわらず、国が安易に認可し、ミドリ十字が問屋を通じて有用だと宣伝して医院等に売りつけたことについて、
被害者に対し、心から謝罪し、被害者を速やかに救済するために制定された法律である。

しかし、訴訟における対応を見る限り、製薬会社は被害者に心から謝罪しているということは微塵も見えない。

C型肝炎訴訟 カルテのないC型肝炎患者の闘い(11)

2014年09月19日 カテゴリー:C型肝炎給付金請求訴訟

名古屋のカルテが残っていないC型肝炎訴訟において、平成26年8月20日午後3時、はじめて証人尋問が行われた。証人は、原告Nさんの大動脈弁を人工弁に置換する手術を担当した心臓血管外科医のA医師であった。
証人尋問が終了した時、A医師が挨拶をしたのは、原告らや原告弁護団ではなかった。被告国の医師資格をもつ代理人(現役の厚労省のキャリア組である)に対してであった。原告代理人は、A医師が証人に立ってくれただけで有り難かったため、A医師に十分すぎるほどの配慮をし、A医師が嫌だと思うことは尋問しないという方針をとっていた。しかし、被告国代理人やフィブリノゲン製剤のメーカー田辺三菱製薬㈱の代理人は、ズバッと聴いてきた。
争点の1つは、患者の原告Nさんの手術の際、本当にフィブリン糊を使ったのか否かである。手術は昭和60年、約29年前だ。A医師は「はじめ大動脈弁置換手術をした時、自信があった。ところが病室へ戻ったNさんに想定しない出血があることが判明し、急きょ、手術室に入れて、再開胸をし、止血処置をした。その再開胸の止血処置の際、フィブリン糊を確実に使ったことを覚えている。」「最初に縫った時に自信があったのに、自信がこんなところで崩れておったので、非常にがっかりしたことが記憶している原因です。」という趣旨の証言を何度もして下さった。

争点の2つ目は、カルテは残っていたが、そのカルテにフィブリン糊の事が全く書いていなかったことである。
製薬会社代理人:「今何が問題になっているかというのはもうおわかりだと思いますが、このカルテの中でフィブリン糊の記載が出てこないということですよ。・・・」
A医師:「医者としてはそこにそういうことを書くことはあんまりないと思いますね。フィブリン糊をばらまいたとか、そういうことを書くことが。」
製薬会社代理人:「その理由は何ですか。」
A医師:「止血操作は当たり前のことなので。」
製薬会社代理人:「ただこの再開胸で一番問題になっているのは、まさに止血じゃないんですか。いかに出血を止めるかということが問題なんですよね」
A医師:「「はい」としか言えない。」
その後も、なぜカルテにフィブリン糊を使ったことを書かなかったかということを追及され、「夜の緊急だったから」、「看護師が書かなかった」、「名大病院は、医師が看護師に指示することはなかった」、「フィブリン糊は医療補助品として使用した感覚がありカルテに記載はしなかった」等、A医師はいろいろな言い訳をせざるを得なかった。裁判長からもフィブリン糊を使ったかを医療記録に残すかどうかという点について尋問があった。
A医師:「私自身はそんなに細かく書いた記憶はありません、他の患者さんでも。」
裁判官:「証人はお書きになってなかったということですか。」
A医師:「はい、ちょっと雑でした。」
A医師には、さぞツラい2時間であったと思う。しつこく国側代理人や製薬会社代理人から追及され、裁判長からも尋問され、結局は雑でした等と言わざるを得なかった。

A医師の証人尋問から、名古屋大学医学部付属病院の心臓手術の際、フィブリノゲン製剤やフィブリン糊を使用しても、当時、ほとんどカルテには記載していないことがわかった。そうすると、Nさんだけでなく、他にもC型肝炎特別措置法で救済されるべき人がカルテに記載がないばかりに救済されていない可能性がある。思い当たる方は、Nさんのように立ち上がってほしいと心から願っている。なんといっても時限立法なので、平成30年1月までに裁判を起こさなければならないのだから・・・

C型肝炎訴訟 カルテのないC型肝炎患者の闘い(10)

2014年06月23日 カテゴリー:C型肝炎給付金請求訴訟

C型肝炎訴訟 出産とフィブリノゲン製剤 すばらしい協力医・病院

名古屋第一赤十字病院及び現在の産婦人科部長のF医師にお願いしたところ、

「昭和39年から平成3年頃まで、産婦人科領域では、「今日の治療方針」等により、学会の権威ある方達がフィブリノゲン製剤の使用を推奨しておりました。それに従って、名古屋第一赤十字病院等の病院は、フィブリノゲン製剤を購入し、産婦人科医はフィブリノゲン製剤を使用しておりました。

「当時の当院での産婦人科診療内容については、年月が経過しており、診療(録)等も残っておりませんので、詳しいことは現在ではわかりませんが、産中産後の出血量が500ml以上の場合はフィブリノゲン製剤を使用していた可能性はあります。また、分娩後弛緩性出血がある場合帝王切開子宮内胎児死亡子宮筋腫子宮頸がん卵巣がん卵巣摘出子宮全摘等でもフィブリノゲン製剤を使用していた可能性があります。DIC(播種性血管内凝固)の場合は、出血量が少なくても、フィブリノゲン製剤を使用していた可能性はあります。」

という書面(F医師の記名だけでなく、名古屋第一赤十字病院の記名捺印のあるもの)をもらうことができた。また、F医師は、会っても下さり、「早期胎盤剥離の場合も、フィブリノゲン製剤を使った可能性がある」等いろいろ教えて下さった。

名古屋第一赤十字病院には、名古屋大学医学部の医局から医師が派遣されている。名古屋大学医学部医局の縄張りは広く、愛知県下の国公立病院には名古屋大学から医師が派遣されている。また、名古屋大学医学部卒で、独立開業している医師も多い。すなわち、愛知県を中心とする東海3県では、名古屋第一赤十字病院が下さった書面のように、フィブリノゲン製剤を使用していたという実態があったのである。
名古屋第一赤十字病院からいただいたこの書面が突破口となり、他の病院や医師達が、C型肝炎で苦しんでいる原告らに対し、「フィブリノゲン製剤を使用した」「使用した蓋然性が高い」「使用した可能性がある」等という書面を下さるようになった。名古屋第一赤十字病院やF医師には、感謝してもしきれない。非常に素晴らしい病院であり、素晴らしい医師であると、原告らは思っている。

たとえば、原告Sさんと原告Oさんは、社会保険中京病院で出産したが、出産に立ち会った医師は、カルテがないので覚えていないと述べるだけであった。そこで、現在の産婦人科部長のO医師に頼んだところ、

「昭和39年から平成3年ころまで、産婦人科領域では、「今日の治療方針」等により、学会の権威ある方達によりフィブリノゲン製剤の使用が推奨されており、それに従い全国の病院でフィブリノゲン製剤が使用されていた時期がありました。  当院産婦人科の当時の診療内容については、年月が経過しているため診療内容は残されておらず詳細は現在ではわかりませんが、分娩時における出血量が500~1000ml以上の場合フィブリノゲン製剤を使用していた可能性を否定はできません。」

という中京病院の記名捺印のある書面をもらうことができた。 中京病院も、やけどの治療では、日本屈指の病院である。

名古屋第一赤十字病院も、中京病院も、出血500ml以上になると目測で思われる場合、フィブリノゲン製剤を投与したということである。
カルテのない原告団が、東京地裁で提訴した事件において、東北大学病院に勤務していた渡辺医師は、「出血量が500ccを超えたと思われる症例に投与しました。これは、周産母子部の副部長であった高橋先生から教わった方針で、私も、高橋先生と同じ投与方針でした」と書面尋問において、答えている。
熊本大学医学部付属病院や小国公立病院産婦人科に勤務していた東医師も、証人になった際、「500ミリリットルを超えて止血傾向がなければ、フィブリノゲン製剤を使います」という証言をしておられる。

病院では、どういう場合にフィブリノゲン製剤を使用するのかのおよその基準を決めていたということなので、この地域だけでなく、東北でも九州でも、全国的に、多くの病院や医院が、出血500ml以上になると思われる場合は、フィブリノゲン製剤を投与したと推定できるのではないだろうか。

C型肝炎訴訟 カルテのないC型肝炎患者の闘い(9)

2014年04月09日 カテゴリー:C型肝炎給付金請求訴訟

C型肝炎訴訟 出産とフィブリノゲン製剤

原告になったり、相談に来られたC型肝炎の患者さん達の7~8割は、女性だった。
出産か婦人科の手術(子宮摘出など)の時にフィブリノゲン製剤を投与されたに違いないと口々に述べた。
出産は、病気ではないから健康保険の対象にもなっていないというものの、出血多量で命を落とすことがある。また、妊婦は、DIC(播種性血管内凝固-血液がサラサラになって出血が止まらなくなる)になりやすい。 (「産科が危ない 医療崩壊の現場から」吉村泰典著 角川書店 )
医学が進歩した今日でも、平成25年12月28日の朝日新聞に記載してあるとおり、「妊婦の命に関わる出血に対し、産科医療機関の4割が輸血用の血液がないなどの理由で対応できないと考えている。こんな結果が厚生労働省研究班の調査で分かった。重大な出血は妊婦の死因で最も多く、いち早い輸血が重要」なのだ。
このように、妊婦の出血にどう対処するかが、昔も今も、産婦人科医が頭を悩ませるところであり、また腕をふるうところでもある。

そういう状況下で、学会の権威達が、止血剤としてフィブリノゲン製剤の使用を推奨し、ミドリ十字が強く勧めたため、昭和39年からフィブリノゲン製剤の使用が広がっていった。 フィブリノゲン製剤が認可されている時期、異常出血といわれるのは、500ml以上の出血のことであった。しかも、現場では、いちいち測量していては、間に合わないので、産婦人科医の経験と勘で、フィブリノゲン製剤を投与した。(産婦人科重要用語辞典) 出血量1000ml以上でないとショック状態は起きないと記載されているものもあるが、産婦人科の現場では、ショック状態を起こす前に止血の処置をして、重篤な結果にならないようにしようというのが医師のスタンスであった。
薬害肝炎の検証および再発防止に関する研究班の中間報告書P.17~P.18には次のように書かれている。

「医療現場でもっとも積極的にフィブリノゲン製剤を使用し、かつその有用性を論じたのは当時の産婦人科医たちである。産科領域の出血治療の変遷について、実地医家向けの『今日の治療指針』を年度別に見てみると、1966(S41)年 からフィブリノゲン製剤の使用が推奨され、1990(H2) 年まで続き、慎重投与としての肝炎の危険性についての記載は皆無に等しい。1989(H1)年の産科研修医向けの教科書にも、“慎重に”、と記載があるものの使用は認められている。2004(H16)年から2005(H17)年にかけての裁判の陳述書からは当時の産婦人科医は、現在でもフィブリノゲン製剤の有効性は肝炎ウイルス感染の危険性を上回るものであるとして、使用の正当性を述べている。そこには学会の権威者達によるフィブリノゲン製剤の使用推奨が、エビデンスに基づく科学的検証を妨げていたことがうかがえる。」

原告Hさんは、昭和53年11月29日、名古屋第一赤十字病院において、長男を出産した。 平成20年に、名古屋第一赤十字病院に行って、カルテが残っていないか、フィブリノゲン製剤が使われていないか聞きに行った。すると、平成20年1月31日付の「輸血とあわせてフィブリノゲン製剤を使用した可能性は否定できないと判断します。」という病院の印のある書面と助産録と分娩台帳(1行のもの)が送られてきた。また、原告Hさんの出産を担当したS医師は、すでに亡くなっていることも聞いた。原告Hさんは、その書面を(カルテのある)弁護団に見せたが、カルテがないからと断られてしまった。そこで、今回、カルテがないC型肝炎訴訟弁護団に依頼したのである。弁護士北村からお願いしたところ、今の産婦人科部長のF医師及び名古屋第一赤十字病院から、もっとよい書類をもらうことができた。次回に報告させていただきたい。これを突破口にして、多くの女性達を救うことを願っている。

C型肝炎訴訟 カルテのないC型肝炎患者の闘い(8)

2014年02月12日 カテゴリー:C型肝炎給付金請求訴訟

C型肝炎訴訟 個別立証 気胸とフィブリン糊

原告各人の立証をすすめていかねばならない。
原告を叱咤激励して、担当医を捜したり、生きておられれば、会いに行ってもらうことにした。

このシリーズ(1)でご紹介した佐藤光俊さんは、頑張った。
フィブリン糊を用いての胸膜癒着術の治療を実施したS医師はすでに他界されていたが、主治医のI医師の上申書をもらうことができた。さらに、フィブリン糊により気胸の治療は、肺に通した管にフィブリン糊を注入するが、必ずレントゲン室でレントゲン画像を見ながら行なわれていたが、その場に立ち会った放射線技師の上申書ももらうことができた。
また、S医師・I医師のチームが「フィブリン糊を用いた自然気胸の治療成績」というテーマで、第46回東海地方会で発表したことが記載されている日胸疾会誌24(5),1986も佐藤さんの執念で探し出すことができた。

佐藤さんは、高校生の時の昭和55年に血気胸になり、呼吸不全かつ出血性ショックの状態で入院し、酸素吸入、輸血、気胸肺へのドレーン挿入により小康を得た。しかし、手術せずに気胸部分の膨張を鎮めるには困難な状態が続いた。 佐藤さんは、I医師から手術が最終的には必要になると言われたが、できれば手術を避けてもらいたいと頼んだどころ、フィブリン糊を使用する治療法があるといわれ、その治療法を希望した。フィブリン糊の治療法はS医師が積極的に行っていたとのことで、フィブリン糊による気胸治療の時は、I医師からS医師に担当を交替し、S医師によりフィブリン糊を使用した治療を受けた。フィブリン糊で気胸治療を受けた状況は、レントゲン室にて行い、処置するに際して治療効果を上げるために、処置中に、頻繁に体位変換をしていた。

I医師は、「当時、S浜病院では、S医師(他界)が気胸患者にフィブリン糊を用いての胸膜癒着術にての治療を積極的にしており、フィブリン糊による気胸治療の時は、S医師に担当を交替しS医師がフィブリン糊を投与することにしていた。
佐藤氏の場合、患者からの希望があったので、他と同様に私からS医師に交替し、S医師がフィブリン糊を投与し、治療経過を観察したとの報告を受けたことを記憶しています。」という書面を書いてくれた。

また、S医師と共に担当したレントゲン技師は、「当時のフィブリン糊による気胸の治療は最先端の手技手法であり、関心事の高い治療法でしたから記憶も鮮明によみがえります。S医師のフィブリン糊の投与は、肺に通した管に注入して投与し、必ずレントゲン室でレントゲン画像を見ながら行なわれており、私が放射線技師として立会いました。佐藤光俊様もレントゲン室でフィブリン糊を投与する気胸の治療を受けたことを覚えています。佐藤様は、当時学生で若く、しかも病状が重かったため覚えているのです。 当時の医師S(他界)先生・I両先生と放射線技師との仲は当然のことながら仲睦まじく、最先端の手技手法の医療業務が行なえたことを誇りに思っていました。後になり、C型肝炎の発症が生じたことはざんき慙愧のいたりです。」という書面を書いてくれた。

佐藤さんはもちろん、フィブリン糊にC型肝炎ウィルスが含まれている恐れがあるとは全く知らなかった。医師達も放射線技師も知らなかった。重篤な佐藤さんの気胸治療に、最先端の手技手法であると、誇りをもってフィブリン糊を投与し、胸部疾患学会東海地方会に発表をしたのである。フィブリノゲン製剤とトロンビン等を混合してつくるフィブリン糊。アメリカの売血によりフィブリノゲン製剤がつくられていたことを、当時、知らされていなかったのであろう。

フィブリン糊は、血管と血管を縫合する場合や腸と腸を吻合する場合等に、止血目的で使用され、それらの論文を見つけることができる。カルテの残っていない原告は、必死である。弁護団も何かよい証拠が収集できないか、必死だ。C型肝炎患者の9割ぐらいを占める、出産や外科的手術による罹患についても、頑張っている。

 

C型肝炎訴訟 カルテのないC型肝炎患者の闘い(6)

2013年10月04日 カテゴリー:C型肝炎給付金請求訴訟

C型肝炎訴訟 B型肝炎被害者救済のための審理方法に学ぶべきこと

B型肝炎も、C型肝炎と同様、”キャリア→慢性肝炎→肝硬変→肝がん”と進行する重篤な病気である。

予防接種によりB型肝炎に感染した場合、B型肝炎特別措置法によって、被害者は救済されている。C型肝炎特別措置法と同様、被害者をすみやかに救済し、給付金をすみやかに支払おうとする法律である。予防接種によりB型肝炎被害者となった者は、国に対して国家賠償訴訟を提起し、必要とされる書面を提出すれば、書面審理のみで訴訟上の和解ができ、給付金を支払ってもらうことができる。

B型肝炎の場合、国の過失は、集団予防接種の際、医師が注射器(注 射針と筒)の連続使用するのを厳しくやめさせなかったことである。裁判所も、国も、原告となったB型肝炎被害者に対し、「予防接種をした医師を捜し出して、注射器の連続使用したことを証言させよ。」という要求はしない。予防接種したことさえ立証すれば、注射器の連続使用は推定される。

予防接種をしたことに関するカルテはそもそも存在しない。
母子手帳に予防接種したことが記載されているが、母子手帳を紛失してしまったケースも多い。その場合、予防接種痕が左腕に残っていることを医師に目視してもらって書面に記載してもらったり、予防接種台帳が残っている市町村の証明をもらえばよいだけである。

裁判所も国も、カルテの残っていない薬害C型肝炎被害者をすみやかに救済するというC型肝炎特別措置法の趣旨にのっとって、審理方法を大きく変更させるという決断をすべきである。カルテの残っていた原告と公平にするためには、カルテの残っていない原告も、過去の解決事例を類型的に分析した上での、B型肝炎の場合と同様、書面審理とすべきなのである。

 

C型肝炎訴訟 カルテのないC型肝炎患者の闘い(7)

2013年10月04日 カテゴリー:C型肝炎給付金請求訴訟

C型肝炎訴訟 カルテが残っていても「フィブリノゲン」が記載されていない!

相談に訪れた患者さんの中には、カルテや手術記事(1枚あるいは1行 のもの)の残存している方が10名以上あった。 皆、いわゆるカルテのある患者のための弁護団から断られた方達だった。 私は、目を皿のようにしてそのカルテや手術記事をみた。2度、3度とみた。しかし、どこにも「フィブリノゲン」という記載はなかった。 カルテがあるのに、フィブリノゲンの記載がないと、フィブリノゲン製剤を投与されなかったことが確定的で、カルテがない方より不利だと思われた。

例外として、NさんのN大学附属病院での心臓の手術を担当したA医師が 、「カルテには書いてないが、止血のためにフィブリン糊を塗布して使ったことをはっきり覚えている」と言って下さった

「手術方法は、障害された大動脈弁を切除し、人工弁を取り付けるものでした。心臓手術は、昭和40年頃より全国の施設で実施されるようになり手術件数も増加しましたが、昭和60年頃においても、手術時出血は大きな問題で出血対策は大きな課題でした。体外循環使用心臓手術はヘパリン(抗凝固剤)を投与するために術中に創部からにじみ出る血液漏出(oozing)に伴う出血が必ずあります。さらにこの頃は再手術・体外循環時間延長例が増加したことから手術に伴う出血はやはり大きな問題でした。その当時より少し前に、ドイツ・オーストリアを中心としてフィブリン糊が考案・臨床応用され、人工血管吻合時の血液漏出を防止するsealing処置ある いは心縫合部分の止血目的で塗布使用され、その出血に対する有効性が報告されました。私のチームも、多数の患者さんにフィブリン糊を使用し、1984年にMedical Postgraduate誌22巻第6号にその有効性を発表しました。この発表以後も、フィブリン糊の有用性から手術に使用しました。フィブリン糊は医師としては手術に使用する医療補助品として使用した感覚があり、カルテ記載はしませんでした。ただ、Nさんでは手術時に確実にフィブリン糊を使用しました…。」

そして、A医師とそのチームが発表した論文も下さった。
N大学医学部は、愛知県の公立病院に医師を派遣し、絶大な力を有して いる。

T市の市民病院もN大学医学部から医師が派遣されている。
T市民病院の医事課のS氏は、次のように話してくれた。「平成19年、C型肝炎の患者さん2百何十名の方が、一気にどーっと 来られた。カルテがないかと。うちの病院は移転しているもんだからカルテはもうなかったけど、手術記事だけは残っていた。1人につき1枚のオペ記事です。しかし、私の知る限り、フィブリノゲン製剤と書いてあるものはありませんでした。」
私は思わず、「そんなはずがない。お宅さんではフィブリノゲン製剤を納入しておられるので」すると、S氏は、「納入している事実はもちろんあります。」「当然使っていたと思います。」「ただ、それを使うことに対して、当時の医師達っていうのは何ら意識をしてないもんですから、書かないんですよ。」と話した。

何と、フィブリノゲン製剤やフィブリン糊が使われていても、カルテや手術記事に記載されていないことが、多々あるのであった。このような実情を、裁判所や国会議員や厚生労働省にぜひ知ってもらいたい。カルテが残存していても、救済されたのは、幸いにも「フィブリノゲン」と記載されていたラッキーな方達だけなのだ。

A医師には、医師の良心がある。だから、正直に話して下さり、書面も書いて下さった。
しかし、T市民病院の対応はひどい。S氏「他の病院がどうであれ、うちは公立病院であるので、そこは、踏み入った言及、推測を病院の名前で出すことはできないねっていうのが、病院の判断なんです。」

赤十字病院などは、「フィブリノゲン製剤を使用していた可能性がある」と書いて下さるところもあるが、T市民病院は病院長の方針だという。この裁判は、医師や病院の責任を問うものではないことをよく理解していただき、患者救済のために、医師の意見をぜひ述べてほしいと心から願っています。



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