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カルテのないC型肝炎患者の闘い(18)

2015年12月02日 カテゴリー:C型肝炎給付金請求訴訟

人の記憶

カルテのないC型肝炎訴訟は、とても難しい訴訟である。
人の記憶というのはどんなものなのだろうか。これまで医師7名の方の証人尋問をやらせていただいた。国や製薬会社は、証人の医師に対して、なぜこの原告にフィブリノゲン製剤やフィブリン糊を投与したことを覚えているのかを何度も追及した。
A医師は心臓血管外科の手術は全て覚えていると答えた。B医師は、この原告さんの子宮が膨大していて妊娠しないと思っていたのに妊娠したし、出産後通常の卵大の子宮に戻ったのでよく覚えているし、自分がフィブリノゲン製剤を投与した患者さんの名前は全て覚えている、と答えた。C医師は、なぜ覚えていると言われても、覚えているから覚えているんですと答えた。D医師は、たくさん手術を手掛けた中でも子宮外妊娠の緊急手術は一年に一回ほどしかなかったし一週間もたってから救急車で運ばれてきたケースはまれだったのでよく覚えている、テレビの手術シーンのように思い出すんです。と答えた。・・・

今後は、原告の本人尋問に移っていく。先日元ミドリ十字、現田辺三菱は、原告らの陳述書について「原告らの出産状況についての陳述内容はいずれも長期間経過してからの陳述であり、通常であれば記憶が薄れているのが自然であるし、しかもカルテなどの客観的な証拠や、出産に立ち会った医師や医療関係者が存在しないにもかかわらず、医師または医療関係者の現場での発言や、投与されたとする薬剤の形状などについて陳述するなどあまりに不自然であり、その信用性に疑問があると言わざるをえない。」という主張をした。
確かに原告らの出産は昭和40年代、昭和50年代であり、長期間経過している。しかしながら、このような主張は、C型肝炎であることが判明するまでの間に、長期間経過することや、いわゆるC型肝炎特別措置法が平成20年1月に至って、ようやく制定されたことに全く配慮することがなく、カルテが保存されていなかった原告らは、医療関係者が生きていて、フィブリノゲン製剤等を投与したという証言をしてくれない限り、立証不可能であると主張していることと同じである。
また、医療関係者にとっても、30年~50年という長期間を経てからの陳述や証言になるので、たとえ医療関係者が陳述書を作成しても、証人台に立って証言しても、信用できないと主張することと同じである。
そうであれば、いわゆるC型肝炎特別措置法がフィブリノゲン製剤を投与されたという事実の立証責任を原告に課していると解釈すること自体が誤りであるということになる。
なぜなら、カルテが残っていなかったり、仮に残っていたとしても名古屋大学附属病院心臓血管外科のようにフィブリン糊投与の事実を記載しないのが通常であったりすれば、原告らは、立証不可能な立証責任を背負わされているということになるからである。

そこで田辺三菱補助参加人に次のような求釈明を行った。
(1)補助参加人は、同じ長期間の年数を経ているにもかかわらず、医師の証言は信用し、原告が、自ら経験したことを陳述した陳述書を信用できないと主張する根拠はなにか、釈明されたい。
(2)フィブリノゲン製剤を静注する場合、点滴をするものであるが、フィブリノゲン製剤の瓶は透明な高さ10センチくらいの小さな瓶である。
アメリカの貧民窟での売血など1000人以上のプール血漿から取り出したフィブリノゲンを乾燥させて白い粉末状になったものを高さ10cmくらいの小さな瓶に入れ、その瓶に、セットして販売していた50ccの蒸留水を入れて、溶かして透明になったフィブリノゲン製剤を、そのまま、すなわち、小さな瓶をそのまま逆さにして、点滴スタンドにぶら下げて静注するよう、ミドリ十字は病院や医師に説明し、とても便利なもので、止血剤としての効果が高く、3年間保存もきく等というセールスをしていたのである。
他の止血剤であるアドナ等は、輸液のパックの中に入れて静注していたのとは異なり、フィブリノゲン製剤は、極めて特徴的であった。また、小さい瓶であったため、500mlの輸液や200mlの輸血のパック等と比較して、大きさからいっても、形状的にも、極めて特徴的である。
そのため、原告や医師など医療関係者の中には、50年経ってもフィブリノゲン製剤のびんを覚えている人もいるのである。
以上のとおりなので、原告らの中には小さな瓶が点滴スタンドにぶら下がっていたり看護師さんが持ってきたことを覚えている原告がいるものであるが、どこに不自然性があるのか釈明されたい。

カルテのないC型肝炎訴訟は、とても難しい訴訟で私は辛酸なめ子である。

カルテのないC型肝炎患者の闘い(17)

2015年11月09日 カテゴリー:C型肝炎給付金請求訴訟

映画「評決」を見て

ポール・ニューマン主演の「評決」を見た。医療過誤訴訟を扱った映画である。
全身麻酔は、9時間以上前に食事をした人に対してしかやってはいけないことになっている。吐瀉する恐れと、吐瀉した物が気管に詰まる恐れがあるからだ。出産のため病院に訪れた妊婦が全身麻酔をされ手術(帝王切開)されたが、心停止になり、話せない・聞こえない・立ち上がれない等の重篤な後遺症が残ってしまった。

この事件は圧倒的に原告が不利であった。被告医師2名は著明な医師であるのに対し、原告側の証人は老開業医のみ。ポール・ニューマンは著明な医師に証人を頼もうと思っていたが、被告側が手を回し、その医師は行方をくらましてしまった。裁判官も被告側につき、示談を勧めたり、被告側に有利な訴訟指揮をする。
ポール・ニューマンも、初めは示談で済まそうとしていた。相手は大病院だから相応の額はくれる。簡単に金になるいい仕事だと、そう思っていた。
しかし、実際に植物状態となってしまった被害者の悲痛な姿を目の当たりにした彼は、正義を志す。一念発起し、証人探しに奔走し始めたのである。
.何とか見つけたのが、当時その病院で働いていた看護師だ。既に病院を辞め、保母として働いていた彼女の証言は、「カルテには確かに1時間前に食事を取ったと記載した。しかし疲労が溜まっていた医師はそれをよく読まず、全身麻酔をしてしまった。そして医療事故が起きた。焦った医師は看護師に対し、『1時間前』を『9時間前』に書き換えないと、看護師を続けられなくしてやると脅した。」というのである。

何とか、その看護師に証人になってもらうことができた。しかし被告代理人弁護士は、時間稼ぎをして判例を助手に調べさせた。「看護師の持つカルテのコピーは、既にこちらが原本を証拠として提出している。証拠として認められない。」と判例を掲げて主張。被告側は、改竄したカルテの原本を先に提出していたのである。さらに「突然の証人は弾劾証拠としての証拠能力しかない。看護師の証言はすべて削除される。」という判例があると主張。被告側寄りの裁判官は、被告代理人の主張を採用し、陪審員に、この証人の証言は証拠から排除されると告げた。この裁判官が判決するのであれば、原告は確実に敗訴だ。

しかし、原告は勝訴した。一般人から選ばれた陪審員らは、正義を支持したのである。裁判官が看護師の証言を考慮しないよう伝えても、不正を目の前で証言された陪審員らの心証を覆すことはできなかった。
陪審員が「賠償額を原告の請求額より多くできるか」と裁判官に聞くシーンがあったが、被告寄りの裁判官であっても、「できます」と答えるしかなかった。

この映画を見ると、カルテがないC型肝炎訴訟の代理人である私は身につまされる。
カルテがない。医師は証人になりたがらない。それにも関わらず国は医師が生きている限り、医師の証人尋問を要求してくる。その医師がフィブリノゲン製剤等を使ったと証言しない限り、原告は勝訴できないと国は主張する。補助参加している田辺三菱(元ミドリ十字)は、フィブリノゲン製剤の病院ごとの納入実績につき、証拠を隠し、一部しか開示しない。圧倒的に原告が不利な裁判なのだ。
医師が証人になりたがらない理由は、フィブリノゲン製剤に止血剤としての効果があったというエビデンス(証明)がなかったにも関わらず医師たちが使用したため、C型肝炎になったので、医師の責任も問われかねないからである。もちろん、原告らはこの訴訟において、医師の責任を一切問うてはいない。しかし、医師は少しでも自分の責任を問われる恐れがあれば、証人にはなりたがらない。また、医師の中には医療過誤訴訟で痛い目に遭っている方もおり、医局や学会や医師会を通じて狭い医師の世界に「裁判に出ると大変なことになる」という噂が広く伝わっているからである。

それにしても、ひとりひとりの原告について、このような立証活動をしなければいけない訴訟だということを理解せず、私は引きうけてしまった。カルテのある厚生省方が救済されているのであるから、カルテのない方であっても、カルテのないことに何の責任もない方は、一律救済がすみやかにできるものだと思って代理人を引き受けてしまったのである。
真の一律救済ができる日がいつ来るのだろうか。

カルテのないC型肝炎患者の闘い(16)

2015年07月02日 カテゴリー:C型肝炎給付金請求訴訟

医師の行方を探して原告の本人尋問に至る

産婦人科の早稲田医師に金沢で証言してもらった件について、ようやく国から和解をしたい旨の上申書が提出された。証人尋問をした日は2015年3月11日であったが、和解上申書が来たのは、その日から約3ヶ月後である。あまりにも遅すぎる。遅すぎて、早稲田医師が重い病に倒れた。20kgも痩せたという。入院しておられ、勝訴的和解ができるとの報告ができない状態である。

今のところ、被告国は、手術や出産を担当した医師や助産師の証言を強く求める。中立であるべき裁判所も、カルテがない責任が原告にあるわけではなく、被告国にあるにもかかわらず、立証責任の転換をしようともせず、被告国のやり方に唯々諾々と従っている。
原告らは、病院に行って、今医師はどこにおられるか、連絡先を教えてもらえないかと頼んでも、個人情報だから教えられないと言われ、肩を落として帰ってくる。やむを得ず、5名の原告は、医師や助産師の連絡先や住所につき、調査嘱託をした。
裁判所からの調査嘱託であれば、個人情報云々で門前払いされることはないと思われるからだった。

Nさんは、聖霊病院で出産したが、常位胎盤早期剥離のため帝王切開で大量出血をしている。担当した医師は3名。助産師は外国人だ。医師のうち1人は、同窓会名簿に死亡と記載してあった。医師のうちもう1人は、他の病院のホームページに出ていたので、そこに調査嘱託をしたところ、だいぶ前に退職し死亡したと聞いている、という回答が来た。もう1人の医師は他の病院にいるかもしれないことが調査嘱託でわかったが、そこに連絡すると、そういう医師は現在いないと言われたので、さらにその病院に調査嘱託をして行方を探さねばならない。外国人の助産師は、だいぶ前にヨーロッパへ行ったままであるという。
Nさんは、K市民病院でC型肝炎の治療を受けていた。担当医師は、患者に負担のかかる肝生検が好きで(他の患者にも肝生検をし、10年経つとまた肝生検を勧めている。)、肝生検を行い、その結果が慢性肝炎であれば副作用の強いインターフェロン治療を行う医師である。肝生検を行ったのが何年か前で、その後の経過を見れば、血小板が少なくなり、肝臓の表面が凸凹したり、左葉が膨大していても肝硬変という診断をしないままインターフェロンを行うのである。
Nさんは、60歳を過ぎていたのに、インターフェロン治療を受けさせられ、副作用で苦しむ中、肝硬変が悪化し腹水が溜まり脳症まで発症して、訴訟提起後の平成26年9月に死亡されたのであった。
ご遺族の夫は、Nさんの無念の思いを晴らすために、3人目の医師の居所がわかればどこへでも行く心構えをしておられる。

SさんとHさんの医師及び助産師については、出産した病院から「不明」「死亡」という回答が来た。被告国が要求する医師にも助産師にも証人に立ってもらうことができないことがはっきりした。こうなった以上、SさんやHさん自身が本人尋問で供述して立証するしかない。
SさんとHさんの本人尋問こそ、カルテのないC型肝炎訴訟における立証のあるべき姿であろうと思う。

カルテのないC型肝炎患者の闘い(15)

2015年04月17日 カテゴリー:C型肝炎給付金請求訴訟

フィブリノゲン製剤という血液製剤

  1. 早稲田先生は、フィブリノゲン製剤の功罪についてもよくわかっておられた。
    人間の血液中には、フィブリノーゲンという血液凝固因子が存在する。フィブリノゲン製剤は、上記の血液凝固因子を精製抽出してつくられたもので、止血剤としてミドリ十字が販売した。
  2. 産婦人科領域では、昭和40年頃から、DIC(播種性血管内凝固症候群)になりやすい常位胎盤早期剥離や弛緩出血など多量出血の場合、止血のためにフィブリノゲン製剤の投与が推奨されていた。
  3. 東京地裁は、1975年(昭和50年)2月13日、すみやかに止血剤を投与せず輸血もしなかったとして病院の医療ミスを認める判決をなした。(中間報告書(*)P.451:参考資料-参考1)
  4. フィブリノゲン製剤を投与すると非A非B型肝炎になることが広く知られたのは、昭和62年、青森の産婦人科医が、フィブリノゲン製剤を投与したら急性肝炎が集団発生したことを厚生省に報告し、昭和62年4月17日、読売新聞で「産婦8人が急性肝炎 血液製剤が原因?」と報道されたからであった。
  5. ミドリ十字は、フィブリノゲン製剤がアメリカの貧民窟の人達1,000人以上から採取したプール血漿から製造されていることを知っていた。そしてフィブリノゲン製剤を投与すれば肝炎になる恐れがあることを知っていたので、フィブリノゲン製剤の箱の中には、医師に対するアンケート葉書を入れていた。しかし、医師からフィブリノゲン製剤を投与した患者が肝炎になったという葉書がきても、握り潰し国に報告をしなかった。
    青森でフィブリノゲン製剤による肝炎の集団発生が明らかになると、ミドリ十字は、エイズの時と同じように考えて、「それまでのフィブリノゲン製剤が非加熱だったから肝炎になったので、加熱すれば肝炎にならない」と主張し、加熱したフィブリノゲン製剤の認可を申請した。
    すると、厚生省はすぐに認可してしまった。
    ミドリ十字は、青森の産婦人科医にも「加熱したフィブリノゲン製剤なら肝炎になりません。フィブリノゲンHT-ミドリを使って下さい」と述べて、持っていった。それを信じた青森の産婦人科医は、加熱したフィブリノゲン製剤を投与した。しかし、その産婦さんも肝炎になってしまったのである。
  6. 早稲田先生は、金沢で産婦人科医会の役員をし、年1回の全国集会に出ておられたので、そのような経緯をすべてわかっておられた。フィブリノゲン製剤を投与すると肝炎になるようだということがわかったら、すぐフィブリノゲン製剤の投与をやめたという。
  7. しかし、これまでの経緯を見ると、昭和40年頃から平成3年頃までは、DICになる恐れがあるケースや出血量が多いケースでは、フィブリノゲン製剤を使って止血しないと、産婦人科医の医療ミスと言われかねないのであって、産婦人科医の多くがフィブリノゲン製剤を使わざるを得なかったのである。
  8. 日本国民の多くの方に薬害C型肝炎という災いをもたらしたフィブリノゲン製剤は、認可が取り消されたかと思ったら、どっこいそうではない。アメリカでは1977年に販売中止になっているが、日本では、今もミドリ十字を承継した田辺三菱が販売しているのである。ただし、先天性フィブリノゲン欠乏症の患者に限りであり、産科DICなど後天性フィブリノゲン欠乏症に使用してはならないことになっている。

***
フィブリノゲン製剤の発売当初からミドリ十字社は血清肝炎の生じる危険があることを認識しており、ミドリ十字社の前身である日本ブラッドバンク社の専務取締役で、後にミドリ十字社の会長になった内藤良一は、1963(S38)年に日本産科婦人科学会雑誌15巻11号に「乾燥人血漿について私のお詫び」を載せ、乾燥血漿製剤に関して紫外線照射は血漿の肝炎ウイルスを不活化するのには1958(S33)年にStrumiaから「殆ど無効」と判決が下されるに至ったことを述べている。また、同文書で「私の罪業と申しますのは、私は陸軍軍医学校教官で、戦争直前米国フィラデルフィアにおいて凍結真空乾燥の技術を学んだことが契機となって、この日本における乾燥血漿の製造を開発したことであり、その結果多くの患者さんをこの乾燥血漿によって肝炎に罹らせたことであります。」と述べ、併せて乾燥人血漿による肝炎発生率は英国で4.5%~11.9%と報告されている、と述べている。それにもかかわらず、日本ブラッドバンク社は1964(S39)年に紫外線照射で「不活化」することを条件にフィブリノゲン-BBankの承認を得て発売しているのである。
(中間報告書(*)P.354、P.355:(5)本章のまとめ-1))

***
血液凝固因子製剤とは、血漿中のたんぱく質を取り出した血漿分画製剤の一種で、止血の役割を果たす特定の血液凝固因子を抽出したものである。凝固因子は全部で12あり、フィブリノゲン製剤は血液凝固第一因子フィブリノゲンを、クリスマシンやPPSB-ニチヤクは第九因子やその他複数の因子を精製抽出してつくられた。
(薬害肝炎 大西史恵 週刊金曜日発行 P.13)

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*)中間報告書
『薬害肝炎の検証及び再発防止に関する研究 中間報告書(薬害肝炎の検証および再発防止に関する研究班 2009年3月27日)』(http://www.mhlw.go.jp/shingi/2009/03/dl/s0327-12a.pdf)

カルテのないC型肝炎患者の闘い(14)

2015年04月10日 カテゴリー:C型肝炎給付金請求訴訟

新幹線が春を連れてくる金沢にて

3月11日は、東日本大震災と福島原発事故のあった日である。4年後の2015年3月11日、金沢地方裁判所まで出張して、金沢にある早稲田産婦人科医院の早稲田健一先生の証人尋問を行った。名古屋弁護団では、出産に関わった医師の初めての尋問である。
前日の夜は名古屋にも雪が降り、北陸は暴風雪という天気予報だったので、無事に金沢へ行くことができるのか不安であった。新幹線で米原まで行き、米原で特急しらさぎに乗り換える予定だったが、新幹線が遅れているというニュースを見て、急遽、名古屋発しらさぎ3号に乗った。自由席も指定席も満席であったし、立ったままの乗客もいる。和倉温泉に実家があり、手を骨折した父が入院中だという美しい女性は、「今日は介護認定をしてもらい、父は家に帰りたいと言っているが、もう帰れないと思う」と言う。岐阜も米原も福井も雪国だった。

ところが、金沢はほとんど雪がない。「新幹線が春を運んでくる」という喜びにあふれた加賀百万石の金沢駅。タクシーに乗って、足が悪く、手も病気の早稲田先生をピックアップして、裁判所へ行く。裁判所へ行くと言うと個人タクシーの運転手が、突然金沢弁で掻き口説いた。「頼んだ弁護士にたくさんお金を払わされた。だから、今は自分で裁判をやっている。兄弟相手に、自分流の言葉で書いている。この前、裁判官がもっと請求しないのかと言ってくれた。」耳の痛い話であった。どうも兄弟が親の遺産を隠しているので、裁判をやっているらしい。
早稲田先生は、杖をつき、ゆっくり歩いて裁判所に入った。

Q.「Kさんにフィブリノゲン製剤を投与したことを、なぜ覚えておられますか?」
早稲田先生「子宮は、鶏卵大が普通なのに(妊娠していないときの子宮は本当に小さいのである)、Kさんのは、鵞卵(がらん)大になっていたので、子宮筋腫だと思っていた。子宮筋腫があって、妊娠したのが不思議な症例だった。また、子宮筋腫がある場合、妊娠しても流産することが多いが、流産はなかった。分娩後1か月して診ると子宮が正常な元の大きさに変わっていて不思議だと思った症例だった。また、出血が多かった。それで覚えている。」
Q.「では、出血量がどのくらいあると、経験から思った時にフィブリノゲン製剤を用意するのですか?」
早稲田先生「400ml以上の場合、用意します。」
Q.「出血量がどのくらいあると、フィブリノゲン製剤を使うのですか?」
早稲田先生「400ml~500ml以上の場合。」
Q.「カルテは残っていないのですね?」
早稲田先生「カルテは改装時破棄しました。カルテはないが、Kさんにフィブリノゲン製剤を投与したことは間違いありません。」
Q.「出血が多いとき出血を止めるのが大切なのですね?」
早稲田先生「そうです。」

早稲田先生は、フィブリノゲン製剤より輸血の方を先にしたと言うが、輸血の途中で三方活栓を使って、フィブリノゲン製剤を静注したとも述べた。
早稲田先生は、80歳だが、記憶力も理解力もバツグンであった。国側代理人のおかしな尋問をたしなめたり、本件とは直接関係ない尋問にも淀みなく答えられた。田辺三菱代理人のねちっこい繰り返しの尋問については、私達原告代理人が「異議あり!重複尋問です」と声を上げ、封じることができた。
早稲田先生は、出血量が多くフィブリノゲン製剤を投与した患者さんをほとんど覚えているという。
証人尋問が終わって、「お疲れ様でしたね」と声をかけると、「どうちゅーことないわいね」と金沢弁で答え、杖をついて裁判所を後にし、自分の病気を診てもらっている病院へ行かれた。

金沢地方裁判所は、贅沢な3階建てで、外壁は格子状に化粧され、白い石が敷き詰めてあり、古都の風情を漂わせ、美しかった。
金沢駅の新しい名店街で、彩りのよい2段重ねのお弁当を買い、帰路の特急しらさぎの中で、原告のKさんと一緒に、昼食兼夕食を食した。
疲れたけれど、安堵した。早稲田先生の尋問を他の原告さんにも有利に使わせてもらいたいと思った。
早稲田先生、本当にありがとうございました。

カルテのないC型肝炎患者の闘い(13)

2015年02月03日 カテゴリー:C型肝炎給付金請求訴訟

中立の証人医師をいじめないで

先日、京都地方裁判所で2人目の医師の証人尋問を行った。
T医師は、Y病院において、昭和55年、Hさんの胃がん摘出・膵臓一部切除の手術をした際、フィブリノゲン製剤を静注したと明確に証言された。 患者さんであったH氏は、すでにC型肝炎の肝がんで逝去されており、原告は、ご遺族である。

T医師がフィブリノゲン製剤を静注したことを明言したところ、国代理人や田辺三菱製薬㈱(元ミドリ十字)の代理人は、しつこく反対尋問を行った。

カルテがないのに、なぜ覚えているのか。

T医師は、「平成20年、Hさんが私を尋ねてきた。Hさんが入院保険金をもらうために、昭和56年に作成した診断書を持ってこられ、それを見て、記憶を喚起しました。 また、当時は、胃がんであることを患者には告知せず秘密にしたまま、手術しました。私は、胃がんであることが分かっていたので、 胃がんを摘出するつもりで開腹したが、膵臓に浸潤していることが分かり、膵臓の一部も切除し、腫瘍のある部位の周囲のリンパも取り除く拡大根治術という長時間の手術をしたのです。 出血量が400~500mlの多量であり(通常、胃がんのみ摘出の場合、50~100mlぐらいのことが多い)、輸血を600mlしたけれどもじわじわとした出血が止まらず、 止血のためにフィブリノゲン製剤を使用したので、よく覚えています。そして、フィブリノゲン製剤を3アンプル使ったという診断書を書いて差し上げたのです。」と証言された。

「フィブリノゲン製剤と止血はどちらが先か」「出血量より輸血量が多いのはおかしくないか」という趣旨の尋問もしてきた。

「出血量が500ml以上だからフィブリノゲン製剤を使用したのか」という尋問もした。
T医師は「出血量がメルクマールではなく、 低血圧になって輸血しても血圧が戻らずじわじわ出血し続ける時に使用する」と答えた。

さらに、「他の止血剤にはどんなものを使用したか」と尋問した。
T医師「ビタミンK、アドナ、トランサミン」などと答えた。

田辺三菱製薬㈱代理人は、「電気メスは使わなかったか。電気メスであれば切った部分からは出血しないはずだが」としつこくフィブリノゲン製剤を使わなくても止血できるのではないかと、尋問した。
T医師「切除には電気メスを使ったが、拡大根治術の場合、横隔膜から下の広い範囲でリンパを切除するので、広い範囲でじわじわ出血するため、使わざるを得なかった」と証言した。

 

しかし、あまりに同じような尋問をしつこく繰り返し行うため、83歳のT医師は疲れてきて、平成2○年というべきところを平成3○年と言う等、混乱してしまわれた。

国側と田辺三菱製薬㈱代理人は、証人医師を混乱させ信用性をおとしめることを狙ってしつこく尋問してくることがわかった。 田辺三菱製薬㈱代理人は、特にしつこく尋問して証人医師を混乱させたので、証人尋問が終わったとき、国側代理人が田辺三菱製薬㈱代理人に握手を求めていた。

とても嫌な感じであった。

本来なら、国側代理人と田辺三菱製薬㈱代理人は、被害者側に謝罪の気持ちをもって臨むべきものであるにもかかわらず、高齢の証人医師をいじめることがまるで使命であるかのように振る舞うのである。

 

しかし、この件は必ずや勝利できると確信している。医師は中立な証人だ。医師としてのプライドも高く患者が頼んだからといって患者に有利な嘘を言うことは決してない証人である。

高齢で持病も持っておられる証人医師に、もっと敬意を払い、短時間の反対尋問にすべきなのである。

 

カルテのないC型肝炎患者の闘い(12)

2014年12月05日 カテゴリー:C型肝炎給付金請求訴訟

製薬会社の立ち位置

カルテが残っていないC型肝炎訴訟には、製薬会社が補助参加している。
国が敗訴したり、賠償金を支払うとの和解をすると、その賠償金のうち3分の2を製薬会社が負担するようである。

原告がフィブリノゲン製剤やフィブリン糊による薬害C型肝炎だと主張すると、田辺三菱製薬㈱が補助参加してくる。
原告がPPSBニチヤクによる薬害C型肝炎だと主張すると、日本製薬㈱が補助参加してくる。

あのミドリ十字は、吉富製薬と合併して法人格が消滅した後、医薬品業界の大規模な再編が進む中で三菱ウェルファーマ社となり、現在、田辺三菱製薬㈱となって、今も生きている。

 

カルテがないC型肝炎訴訟において、最も、先駆けて提訴した東京では、3名の原告の方が国と和解している。

その中のBさん(小国公立病院にて出産)について、看護師と担当医師の証人尋問を終わって、和解の機が熟していたところ、
突如として、田辺三菱製薬㈱が、「小国公立病院には、出産当時、フィブリノゲン製剤が存在しなかった」と主張し、
出産の年から遡って4年分のフィブリノゲン製剤納入リストを提出してきた(フィブリノゲン製剤の有効期間は3年となっている)。

東京の原告団や弁護団は、怒りを持って反論した。

名古屋の原告さんが手に入れてくれたT病院の昭和55年から平成の代までのフィブリノゲン等の納入リストには、
「納入実績資料のお取り扱いについて」と題する書面がついており、その書面には、

①特に1980年代には、手書き伝票を手作業でコンピュータに入力されていた
データがあり、入力ミスの可能性がありますこと。
②特約店の医療機関コードと弊社の医療機関コードにマッチングミスの可能性
がありますこと。
なお、弊社のデータが、1980年以降のものしかなく、1979年以前につきましては資料がございませんので、この点もご留意お願い申し上げます。

という記載があることから、そもそもフィブリノゲン製剤納入リストは不正確なものである。

厚生労働省医薬食品局血液対策課の「国立病院等におけるフィブリノゲン製剤投与に係る診療録等の精査状況等の調査結果について」及び
「平成23年度及び平成24年度フィブリノゲン製剤納入医療機関に対する訪問調査の結果について」においても、
「ここに記載されている期間以外でもフィブリノゲン製剤が対象医療機関に納入されている可能性は否定できないため、必ずしも正確な納入本数ではない場合があります」と記載されている。

さらに、同課の「C型肝炎ウイルス検査受診の呼びかけ(フィブリノゲン製剤納入先医療機関名の再公表について)」においても、

①「二次卸等」は、フィブリノゲン製剤納入先として三菱ウェルファーマー社の納入先に記載されていた医療機関以外の施設です。これらの施設を経由してフィブリノゲン製剤が医療機関に納入された可能性も否定できない、
②フィブリノゲン製剤納入先のデータは昭和55年からしか存在しないため、公表医療機関において昭和55年より前にフィブリノゲン製剤が使用されていたかどうかは不明です。
また、今回の公表医療機関以外の医療機関においてフィブリノゲン製剤が使用されていた可能性も否定できません。

と記載されている。

 

以上によれば、フィブリノゲン製剤納入リストに記載されているものは、最小限のもので、それ以上に納入されている可能性は十分あるものである。

田辺三菱は、原告らや証人医師を陥れようとして、当該出産・手術時期の過去3年分しか提出してこない。異議を述べても、一向に提出してこない。

C型肝炎特別措置法は、C型肝炎ウイルスが入っている可能性がわかっていたにもかかわらず、国が安易に認可し、ミドリ十字が問屋を通じて有用だと宣伝して医院等に売りつけたことについて、
被害者に対し、心から謝罪し、被害者を速やかに救済するために制定された法律である。

しかし、訴訟における対応を見る限り、製薬会社は被害者に心から謝罪しているということは微塵も見えない。

カルテのないC型肝炎患者の闘い(11)

2014年09月19日 カテゴリー:C型肝炎給付金請求訴訟

名古屋のカルテが残っていないC型肝炎訴訟において、平成26年8月20日午後3時、はじめて証人尋問が行われた。証人は、原告Nさんの大動脈弁を人工弁に置換する手術を担当した心臓血管外科医のA医師であった。
証人尋問が終了した時、A医師が挨拶をしたのは、原告らや原告弁護団ではなかった。被告国の医師資格をもつ代理人(現役の厚労省のキャリア組である)に対してであった。原告代理人は、A医師が証人に立ってくれただけで有り難かったため、A医師に十分すぎるほどの配慮をし、A医師が嫌だと思うことは尋問しないという方針をとっていた。しかし、被告国代理人やフィブリノゲン製剤のメーカー田辺三菱製薬㈱の代理人は、ズバッと聴いてきた。
争点の1つは、患者の原告Nさんの手術の際、本当にフィブリン糊を使ったのか否かである。手術は昭和60年、約29年前だ。A医師は「はじめ大動脈弁置換手術をした時、自信があった。ところが病室へ戻ったNさんに想定しない出血があることが判明し、急きょ、手術室に入れて、再開胸をし、止血処置をした。その再開胸の止血処置の際、フィブリン糊を確実に使ったことを覚えている。」「最初に縫った時に自信があったのに、自信がこんなところで崩れておったので、非常にがっかりしたことが記憶している原因です。」という趣旨の証言を何度もして下さった。

争点の2つ目は、カルテは残っていたが、そのカルテにフィブリン糊の事が全く書いていなかったことである。
製薬会社代理人:「今何が問題になっているかというのはもうおわかりだと思いますが、このカルテの中でフィブリン糊の記載が出てこないということですよ。・・・」
A医師:「医者としてはそこにそういうことを書くことはあんまりないと思いますね。フィブリン糊をばらまいたとか、そういうことを書くことが。」
製薬会社代理人:「その理由は何ですか。」
A医師:「止血操作は当たり前のことなので。」
製薬会社代理人:「ただこの再開胸で一番問題になっているのは、まさに止血じゃないんですか。いかに出血を止めるかということが問題なんですよね」
A医師:「「はい」としか言えない。」
その後も、なぜカルテにフィブリン糊を使ったことを書かなかったかということを追及され、「夜の緊急だったから」、「看護師が書かなかった」、「名大病院は、医師が看護師に指示することはなかった」、「フィブリン糊は医療補助品として使用した感覚がありカルテに記載はしなかった」等、A医師はいろいろな言い訳をせざるを得なかった。裁判長からもフィブリン糊を使ったかを医療記録に残すかどうかという点について尋問があった。
A医師:「私自身はそんなに細かく書いた記憶はありません、他の患者さんでも。」
裁判官:「証人はお書きになってなかったということですか。」
A医師:「はい、ちょっと雑でした。」
A医師には、さぞツラい2時間であったと思う。しつこく国側代理人や製薬会社代理人から追及され、裁判長からも尋問され、結局は雑でした等と言わざるを得なかった。

A医師の証人尋問から、名古屋大学医学部付属病院の心臓手術の際、フィブリノゲン製剤やフィブリン糊を使用しても、当時、ほとんどカルテには記載していないことがわかった。そうすると、Nさんだけでなく、他にもC型肝炎特別措置法で救済されるべき人がカルテに記載がないばかりに救済されていない可能性がある。思い当たる方は、Nさんのように立ち上がってほしいと心から願っている。なんといっても時限立法なので、平成30年1月までに裁判を起こさなければならないのだから・・・

カルテのないC型肝炎患者の闘い(10)

2014年06月23日 カテゴリー:C型肝炎給付金請求訴訟

出産とフィブリノゲン製剤 すばらしい協力医・病院

名古屋第一赤十字病院及び現在の産婦人科部長のF医師にお願いしたところ、

「昭和39年から平成3年頃まで、産婦人科領域では、「今日の治療方針」等により、学会の権威ある方達がフィブリノゲン製剤の使用を推奨しておりました。それに従って、名古屋第一赤十字病院等の病院は、フィブリノゲン製剤を購入し、産婦人科医はフィブリノゲン製剤を使用しておりました。

「当時の当院での産婦人科診療内容については、年月が経過しており、診療(録)等も残っておりませんので、詳しいことは現在ではわかりませんが、産中産後の出血量が500ml以上の場合はフィブリノゲン製剤を使用していた可能性はあります。また、分娩後弛緩性出血がある場合帝王切開子宮内胎児死亡子宮筋腫子宮頸がん卵巣がん卵巣摘出子宮全摘等でもフィブリノゲン製剤を使用していた可能性があります。DIC(播種性血管内凝固)の場合は、出血量が少なくても、フィブリノゲン製剤を使用していた可能性はあります。」

という書面(F医師の記名だけでなく、名古屋第一赤十字病院の記名捺印のあるもの)をもらうことができた。また、F医師は、会っても下さり、「早期胎盤剥離の場合も、フィブリノゲン製剤を使った可能性がある」等いろいろ教えて下さった。

名古屋第一赤十字病院には、名古屋大学医学部の医局から医師が派遣されている。名古屋大学医学部医局の縄張りは広く、愛知県下の国公立病院には名古屋大学から医師が派遣されている。また、名古屋大学医学部卒で、独立開業している医師も多い。すなわち、愛知県を中心とする東海3県では、名古屋第一赤十字病院が下さった書面のように、フィブリノゲン製剤を使用していたという実態があったのである。
名古屋第一赤十字病院からいただいたこの書面が突破口となり、他の病院や医師達が、C型肝炎で苦しんでいる原告らに対し、「フィブリノゲン製剤を使用した」「使用した蓋然性が高い」「使用した可能性がある」等という書面を下さるようになった。名古屋第一赤十字病院やF医師には、感謝してもしきれない。非常に素晴らしい病院であり、素晴らしい医師であると、原告らは思っている。

たとえば、原告Sさんと原告Oさんは、社会保険中京病院で出産したが、出産に立ち会った医師は、カルテがないので覚えていないと述べるだけであった。そこで、現在の産婦人科部長のO医師に頼んだところ、

「昭和39年から平成3年ころまで、産婦人科領域では、「今日の治療方針」等により、学会の権威ある方達によりフィブリノゲン製剤の使用が推奨されており、それに従い全国の病院でフィブリノゲン製剤が使用されていた時期がありました。  当院産婦人科の当時の診療内容については、年月が経過しているため診療内容は残されておらず詳細は現在ではわかりませんが、分娩時における出血量が500~1000ml以上の場合フィブリノゲン製剤を使用していた可能性を否定はできません。」

という中京病院の記名捺印のある書面をもらうことができた。 中京病院も、やけどの治療では、日本屈指の病院である。

名古屋第一赤十字病院も、中京病院も、出血500ml以上になると目測で思われる場合、フィブリノゲン製剤を投与したということである。
カルテのない原告団が、東京地裁で提訴した事件において、東北大学病院に勤務していた渡辺医師は、「出血量が500ccを超えたと思われる症例に投与しました。これは、周産母子部の副部長であった高橋先生から教わった方針で、私も、高橋先生と同じ投与方針でした」と書面尋問において、答えている。
熊本大学医学部付属病院や小国公立病院産婦人科に勤務していた東医師も、証人になった際、「500ミリリットルを超えて止血傾向がなければ、フィブリノゲン製剤を使います」という証言をしておられる。

病院では、どういう場合にフィブリノゲン製剤を使用するのかのおよその基準を決めていたということなので、この地域だけでなく、東北でも九州でも、全国的に、多くの病院や医院が、出血500ml以上になると思われる場合は、フィブリノゲン製剤を投与したと推定できるのではないだろうか。

カルテのないC型肝炎患者の闘い(9)

2014年04月09日 カテゴリー:C型肝炎給付金請求訴訟

出産とフィブリノゲン製剤

原告になったり、相談に来られたC型肝炎の患者さん達の7~8割は、女性だった。
出産か婦人科の手術(子宮摘出など)の時にフィブリノゲン製剤を投与されたに違いないと口々に述べた。
出産は、病気ではないから健康保険の対象にもなっていないというものの、出血多量で命を落とすことがある。また、妊婦は、DIC(播種性血管内凝固-血液がサラサラになって出血が止まらなくなる)になりやすい。 (「産科が危ない 医療崩壊の現場から」吉村泰典著 角川書店 )
医学が進歩した今日でも、平成25年12月28日の朝日新聞に記載してあるとおり、「妊婦の命に関わる出血に対し、産科医療機関の4割が輸血用の血液がないなどの理由で対応できないと考えている。こんな結果が厚生労働省研究班の調査で分かった。重大な出血は妊婦の死因で最も多く、いち早い輸血が重要」なのだ。
このように、妊婦の出血にどう対処するかが、昔も今も、産婦人科医が頭を悩ませるところであり、また腕をふるうところでもある。

そういう状況下で、学会の権威達が、止血剤としてフィブリノゲン製剤の使用を推奨し、ミドリ十字が強く勧めたため、昭和39年からフィブリノゲン製剤の使用が広がっていった。 フィブリノゲン製剤が認可されている時期、異常出血といわれるのは、500ml以上の出血のことであった。しかも、現場では、いちいち測量していては、間に合わないので、産婦人科医の経験と勘で、フィブリノゲン製剤を投与した。(産婦人科重要用語辞典) 出血量1000ml以上でないとショック状態は起きないと記載されているものもあるが、産婦人科の現場では、ショック状態を起こす前に止血の処置をして、重篤な結果にならないようにしようというのが医師のスタンスであった。
薬害肝炎の検証および再発防止に関する研究班の中間報告書P.17~P.18には次のように書かれている。

「医療現場でもっとも積極的にフィブリノゲン製剤を使用し、かつその有用性を論じたのは当時の産婦人科医たちである。産科領域の出血治療の変遷について、実地医家向けの『今日の治療指針』を年度別に見てみると、1966(S41)年 からフィブリノゲン製剤の使用が推奨され、1990(H2) 年まで続き、慎重投与としての肝炎の危険性についての記載は皆無に等しい。1989(H1)年の産科研修医向けの教科書にも、“慎重に”、と記載があるものの使用は認められている。2004(H16)年から2005(H17)年にかけての裁判の陳述書からは当時の産婦人科医は、現在でもフィブリノゲン製剤の有効性は肝炎ウイルス感染の危険性を上回るものであるとして、使用の正当性を述べている。そこには学会の権威者達によるフィブリノゲン製剤の使用推奨が、エビデンスに基づく科学的検証を妨げていたことがうかがえる。」

原告Hさんは、昭和53年11月29日、名古屋第一赤十字病院において、長男を出産した。 平成20年に、名古屋第一赤十字病院に行って、カルテが残っていないか、フィブリノゲン製剤が使われていないか聞きに行った。すると、平成20年1月31日付の「輸血とあわせてフィブリノゲン製剤を使用した可能性は否定できないと判断します。」という病院の印のある書面と助産録と分娩台帳(1行のもの)が送られてきた。また、原告Hさんの出産を担当したS医師は、すでに亡くなっていることも聞いた。原告Hさんは、その書面を(カルテのある)弁護団に見せたが、カルテがないからと断られてしまった。そこで、今回、カルテがないC型肝炎訴訟弁護団に依頼したのである。弁護士北村からお願いしたところ、今の産婦人科部長のF医師及び名古屋第一赤十字病院から、もっとよい書類をもらうことができた。次回に報告させていただきたい。これを突破口にして、多くの女性達を救うことを願っている。